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物質の斑を化学する


鹿島長次


   色の一様でないことを表すに対して、反対の均一あるいは一様な状態を表す適当な一語の言葉が日常会話の中には見当たりません。多くの場合には真っ黄色や真っ赤や真っ白などと個々の色に対応して「真っ…」を付けて表し、あえて一般的に表すときには斑がないと表しています。逆に、論文などの堅苦しい文章では均一や一様などの言葉を使いますが、に対応する均一でないことや一様でないことを表す適当な一語の言葉がなく、「…の逆」の意味を表わす不を付けた不均一と表します。このような日本語のふしぎな関係は世の中の色や模様ばかりでなくほとんど全ての物が均一な状態にはない斑な状態にあると見なされ、稀に出会う均一な状態には強調の意味を篭めて「真っ…」を付けて表していると考えられます。しかしこのような斑な状態では厳密な定義や考察が難しく、物事の関係を均一な状態に近似して簡単な状態に単純化にする必要がありますから、論文などの堅苦しい文章では均一や一様などの言葉は使われますが、斑な意味の言葉がないと考えられます。
   現代の自然科学では地球をはじめとして宇宙を構成している万物は非常に多くの分子やイオンの集合によってできているという考えを現代の自然科学では基礎にしています。原子が集合した分子やイオンはその集合の仕方によりそれぞれ個性のある性質や機能を示しますし、分子が斑模様に集合した物質はその集合の仕方によりそれぞれ個性のある性質や機能を示しますし、この物質の性質や機能が斑模様に組み合わされて、万物は複雑な性質や機能をかもし出しています。このように物質の、そして万物のもとになる分子やイオンは種々の原子が強い力で結び付いて形作られていますが、それらの原子の結び付きの違いにより異なる性質や機能を示す5000万種類以上の分子やイオンが現在までに調べられています。膨大な種類の分子やイオンを構成している原子は自然界にわずかに90種類しか存在していませんし、これらの原子は中性子と陽子と電子の3種の粒子が極めて大きなエネルギーで結び付けられてできています。これらの関係をまとめますと中性子と陽子と電子の3種の粒子が斑模様に集合して地球上の万物が作り出されており、その3種の粒子の斑模様により万物の性質や機能が発現していると考えることができます。
   「このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」は古今集に収められている菅原道真の読んだ紅葉の和歌ですが、この和歌のように秋とともに山が真っ赤や真っ黄色に斑模様に色分けされた紅葉の錦です。種々の葉には光合成を司る葉緑素と太陽光の害を守る働きをする黄色のカロチン類が含まれていますが、秋になると落葉樹では緑色の葉緑素を分解して冬支度を調えます。そのため葉の緑色が抜けて隠れていたカロチン類の黄色が見えてきて黄葉します。木肌の美しい瓜肌楓の葉は浅く3つに割れた5角形の緑葉ですが、秋になると葉緑素の分解が一様に進行せず部分的に分解して落葉しますから、それらの葉はそれぞれ葉緑素の抜け方が葉毎に異なり変化に富んだ美しい斑模様に黄葉します。葉の形は全く変化しなくても斑に黄色になった部分では葉緑素が分解されていますから、光合成をする能力も斑模様に失われてしまいます。また、水を冷やしてゆく場合に、観点を分子の成分におけば水から氷へ状態が変化しても常に均一で斑がありませんが、比重や硬さなどの性質に観点を置けば、均一な斑の無い水の状態から斑のある氷水になり、さらに均一で斑の無い氷に変化します。
   自然界だけでなく人間社会の中にも多くの斑模様が生まれたり消えて行ったりします。全世界の約7x109人の人間は斑のように多くの部族や民族に属していますし、国というさらに大きな斑を作って生活を営んでいます。江戸時代の日本は江戸の徳川家を中心に加賀の前田家などの大名家により個々に独立して統治されていましたが、明治維新を境にして約270あった藩が統一されて明治政府により中央集権国家に生まれ変わりました。幕藩体制の下では各地の首長が異なり、言語も文化も習慣も大きく異なる斑模様になっていましたから、そこに住む人々も江戸っ子や浪速っ子や薩摩っぽうなど各地に帰属した意識を持っていましたが、明治政府を主導した多くの人の努力により君が代を歌い、東京弁を標準語とし、北海道から沖縄までを母国と考える日本人という意識を全ての人々が持つようになり、ほとんど斑の無い統一国家が形成されました。
   これまで挙げてきた幾つかの例からも分かるように、性質の異なる複数の成分が混ざれば必然的に斑が生じますが、水と氷のように物質が同じでも状態の異なる複数の成分が混ざれば斑が生じます。さらに、物質や人間などの成分は一様でない速さで異なる変化をしていますから、自然界や社会に見られる斑模様は時々刻々変化します。地球をはじめとして宇宙を構成している万物は陽子と中性子と電子の3種の粒子で構成されている分子やイオンの集合によってできているという考えを現代の自然科学では基礎にしていますから、森羅万象はすべて斑模様になっていると考えることができます。
   化学が種々の物質の性質を調べて日常生活に役立てることを目的とする学問ですから、化学者は原子や分子の個々の性質を解明し、それらの性質の互いの影響の仕方などを調べてきました。原子や分子を斑の無い純粋な形にして、その性質や特性を明らかにすることが化学の基本の手段や方法の一つとなりますし、それらの純粋な原子や分子が斑となって互いに影響する仕方を解析することが次なる化学の基本の手段や方法となります。そのためには斑を可能な限りに大きく成長させて、その斑な部分を分離して取り出すことがなされてきました。このように斑の部分の性質を増幅して斑を成長させて分離することが均一で純粋な物質の分離精製の基本的な化学の手段になっています。均一で純粋な物質に含まれる原子や分子の種類と成分比や性質や斑の規則性や大小や濃淡や時間的な変化などを知ることは基本的な化学の手段であり、多くの方法が考案されてきました。
   斑は多くの部分でそれぞれ異なる個性を持っている状態ですから、規則的な斑はその規則に基づいて考えることによりその個性を明らかにすることができます。不規則で乱雑な斑は簡単な数式で表すことができませんが、統計的に処理することにより複雑な斑の個性を平均値としてある程度は明らかにすることができると考えられています。これに対し微細な部分の性質や変化を調べる分析機器や方法が開発されてきましたから、物質の中の斑の部分の性質だけを取り出して調べることが可能になりました。斑は含まれる原子や分子の種類と成分比や集合の仕方などそれぞれ異なる個性ある性質を持っていますから、それら全ての斑の性質の平均値は物質の全体を俯瞰する援けにはなりますが、個々の斑の個性ある性質を見失う傾向を持っています。瓜肌楓の葉の色を調べるときにも、葉の全体を調べる場合と黄色の斑の部分を調べる場合ではその調べ方も異なってきます。葉全体を調べてその平均値を求めてゆく全体分析とわずかな黄色の部分を調べる局所分析があり、全体分析では斑模様が無視されてしまいますし、局所分析では局部の小さな斑にとらわれて全体像を見失う危険があります。
   小学校では給食が終わると、小学生は蜘蛛の子を散らすように運動場に飛び出してゆき遊び始めます。昼休みが終わると先生はかなりの精力を使ってチャイムを鳴らしたり、声を張り上げたり、注意を引くような努力をして小学生を教室に呼び集めます。自然界も社会も多くの物質や人間がある斑模様の秩序を持って集合していますが、給食後の小学生のように物質も人間も放って置けば少しずつエネルギーを放出して次第に秩序を乱して散り散りばらばらに拡散して斑模様の秩序を失ってゆきます。逆に、昼休み後の小学生のようにその秩序を作ったり保ったりするためにはエネルギーを必要とします。このように物質や人間を秩序高く集合させて自然界や社会を組織させるために必要なエネルギーをエントロピーと呼んでいます。物理学の基礎となる熱力学の3法則のなかには、外界から独立し遮断された閉鎖系では、エネルギーを発散しながら秩序の失わる方向に変化が起こり、逆に秩序高く組織し集合させるためにはエネルギーを必要とすることが、エントロピーの増大するように変化が起こるという法則として認められています。このエントロピーの増大の法則により万物の全ての斑な秩序はいずれ失われて均一化してゆくと考えられています。このエントロピーの増大の法則と斑の関係を考えると、複数の成分が混ざった初期の過程では大小様々な不規則で乱雑な斑模様に成分が入り乱れますが、斑はその規則性や大小や濃淡や時間的な変化など種々の複雑な要素を含んでいますから種々の紆余曲折を経て、次第に規則的で整然とした斑模様になり、最終的には均一で斑の無い状態に落ち着くと解釈できるのではないでしょうか。しかし、創生以来150億年が経過したと考えられていますが、未だに宇宙は天の川やアンドロメダのような大きな銀河がたくさん存在する斑だらけの世界です。
   現在の地球も自然界や社会は未だ種々の斑模様で彩られていますから、本書ではその斑がどのように日常生活に影響を与えているか考えてみました。万物の中のそして物質の中の斑に関して化学の知識を織り交ぜながら独善的に見てきましたが、基本的な概念や物質の性質への影響などを少しでも深く知ることにより、何か一つでも化学の研究や教育に役立つものが見つけ出せれば良いと思っております。また、逆に万物の斑に関する多くの化学的な技術や知識が快適な日常生活を生み出す助けになれば、本書はさらなる意義を持つことになると思われます。本書が万物の中の斑に関する基礎知識を深める上で貢献できればよいと思っています。
   本書ではこのように種々の要素が複雑に絡み合ったの概念を改めて考え直し、化学の基本的な手段・方法により得られている知識や過去の成果を基にして、の発生や消長、の物質の性質への影響、の特性などを独善的に考えてゆこうと思います。日常生活を取り巻く種々のを少しでも理解することにより、何か一つでも化学の研究や教育に役立つものが見つけ出せれば良いと思っております。また、をわずかでも理解できたことが日常生活を豊かにする助けになれば、本書はさらなる意義を持つことになると思われます。このように種々の要素が複雑に絡み合ったの概念を改めて考え直し、 「物質の斑を化学する」 としてpdfの形式でまとめましたので、以下に目次をあげておきます。気楽に読んで頂ければ嬉しく思います。さらに、この 「物質の斑を化学する」 に対するご意見、ご質問、ご感想をchoji.kashima@nifty.ne.jpにてお待ちしております。


    目次
1. まえがき
· 斑ははん、むら、まだら、ぶち
· 森羅万象は全て斑模様
2. 化学反応に影響する斑
· 斑の無い世界へ
· 物質の状態を左右する分子間力と運動エネルギー
· 分子内の電荷の偏りで強くなる分子間力
· 斑の度合いを示す標準偏差値
· 局所分析で調べる斑の性質
· 万物の変化の基本は出会いと別れ
· 斑を増幅する出会いの反応
3. 主役となる斑
· ガラスの性質を変える金属酸化物の斑
· 宝石の価値観を変える人造宝石
· 金属の電導性を乱す混ざり物の斑
· 半導体素子の性能を生み出す斑
· 長々とした分子は分子量も不明確
· 平均分子量で描かれるプラスティックの姿
· 形が長くなると変わる分子の並び方
· 酵素は特殊な形と機能を持つ斑
4. 斑の無い世界への努力
· 斑になる水と油
· 去る者はA子さんでも日日に疎し
· 液体の撹拌、対流は比重の違いから
· 均一に見える斑を作る界面活性剤
· 貧者の黄金
· 固体表面の反応を速める斑な音波
· 空気のない所でも煙が立つ
5. 斑のある世界への努力
· ピンセットで分けたパスツールの分離法
· 気化で生まれる斑を分離する蒸留
· 再結晶は斑の無い世界への王道
· 移動速度の斑を利用するクロマトグラフィー
6. 物質や万物の斑は遠い将来には消滅する

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